1952年(昭和27年)〜1958年(昭和33年)
年号 |
月日 |
広布史 |
詳細/社会 |
1952 |
01/ | 池田先生、蒲田支部の支部幹事を兼任する。 | |
昭和27 | 02/09 | 池田先生、男子青年部会で、青年部組織の強化・拡大のための一切の企画・立案を行う青年部参謀に就任。 | |
02/17 | 第1回男女合同青年部研究発表会(常泉寺) | ||
02/29 | 蒲田支部が201世帯の折伏。伝統の2月の淵源。当時、A級支部の限界は100世帯とされており、桁違いの成果だった。 | ||
春 | 学会の退転者が中心となり、砂町教会内で竜門講を結成。学会の切り崩しを図る。野島辰次、稲葉荘らが参加。 | ||
04/24 | 『新編日蓮大聖人御書全集』が完成。 | ||
04/27 | 総本山内にて狸祭り事件。小笠原が牧口会長の墓前で書いた「謝罪文」。 | 一般紙も報道。 小笠原慈聞肖像。 | |
04/28 | 宗旨建立700年記念慶祝大法会(総本山大石寺)。 | ||
05/03 | 池田先生、結婚。東京・中野区の歓喜ォにて挙式。戸田先生も出席。媒酌人は小泉隆理事。 | ||
06/27 | 日蓮正宗宗会が戸田先生に対する処罰を求める決議。 | ||
06/28 | 戸田会長に対し、大講頭罷免、登山停止などの処分を行う。 | ||
07/10 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
08/27 | 創価学会の宗教法人設立認証。 | ||
09/08 | 「宗教法人創価学会」の登記が成立→ | 登記成立日をもって、法人設立とする。2005年11月以降は、この日を設立日として採用。 | |
09/10 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
10/04 | 初の月例登山会。以後、毎月定例で続けられる。 | ||
10/20 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
10/21 | 女子部の人材グループ「華陽会」が発足(20名)。戸田先生による「四信五品抄」講義。その後、毎月1回、文学作品を通し、懇談が行われた。 | ||
11/01 | エニウェトク環礁で初の水爆実験。 | ||
11/20 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
12/01 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
12/07 | 第7回総会。年間目標の2万世帯を達成。 | ||
12/10 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
12/16 | 男子部の人材グループ「水滸会」の初会合(38名)。『水滸伝』を学ぶ。(昭和31年5月まで続いた) | ||
12/21 | 第1回教学試験(東京・家政学院)。助教授2名、講師8名、助師23名を登用。教学部が65人の体制となる。 | ||
12/24 | 12月度幹部会。2万2324世帯となる。 | ||
1953 |
01/02 | 池田先生、大幹部会(総本山・理境坊)にて、男子第一部隊長に任命される。 | |
昭和28 |
01/05 | 池田先生、新年宴会(東京・南甫園)で戸田先生に「星落秋風五丈原の歌」を披露。夜、小岩支部長交代式に出席し、「星落秋風五丈原の歌」を男子第一部隊歌の愛唱歌として発表。 | 元々は土井晩翠の詩。不思議なことに土井晩翠は牧口先生と同じ明治4年生まれ。 |
01/06 | 池田先生、男子第一部隊長に就任。戸田先生より部隊旗を授与さる。於池袋常在寺。 | ||
01/10 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
02/01 | NHKによって地上波テレビ放送の開始。受像機の価格が非常に高価(20万〜30万円程度。白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度)なため、繁華街や主要駅などに街頭テレビが設置された。 | ||
02/26 | 2月度幹部会(東京・神田の教育会館) | ||
04/01 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
04/19 | 第1回男子青年部総会(教育会館)。 | ||
04/20 | 池田先生、文京支部長代理に。 | ||
04/28 | 文京支部 | ||
05/01 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
06/01 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
6月末 | 水滸会の会合にて戸田先生が林檎酒の青年を叱責。水滸会は一旦解散。 | ||
07/20 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
07/21 | 新編成の水滸会結成式。(学会本部) | ||
09/06 | 聖教新聞が旬刊から週刊となる。毎日曜に発行。 | この時点で21000部。 | |
09/13 | 戸田先生による「寸鉄」。 | ||
11/13 | 東京・西神田から信濃町へ本部の移転が完了する。 | ||
11/18 | 牧口先生の『価値論』を発刊。 | ||
11/20 | 第一部隊長として池田先生が、青年部第2回総会への大結集を呼びかけた檄文「我が親愛なる同志諸君に告ぐ」を配布。 | ||
11/22 | 戸田先生による「寸鉄」。 第9回総会(東京・中央大学講堂) | ||
12/07 |
第一部隊長として池田先生が、青年部第2回総会への大結集を呼びかけた檄文第2弾「憂国の志士総結集せよ」を配布。 | ||
12/22 | 青年部第2回総会(星薬科大学)。 | ||
1954 |
03/01 | ビキニ環礁で行われた核実験で第五福竜丸が被爆。 | |
昭和29 |
03/30 | 一支部一部隊に。この時、男子部は15部隊。 池田先生、新設の参謀室長に任命。 | |
04/04 | 聖教新聞が、週刊2ページ立てから4ページとなる。 | ||
09/04 | 氷川キャンプ場にて、水滸会の野外研修。 | ||
09/ | 『大白蓮華』10月号の巻頭言に「青年よ国士たれ」(国士訓)が掲載。 | ||
10/31 | 青年部1万名総登山。 | ||
11/07 | 青年部で初の体育大会(東京・日大グラウンド) | ||
11/22 | 文化部が設置される。 | ||
12/10 | 月日は未確認。ライナス・ポーリングがノーベル化学賞を受賞。 | ||
1955 | 朝鮮特需による神武景気。1957年まで。 | ||
昭和30 |
03/11 | 小樽問答(小樽市公会堂)。身延日蓮宗と公開法論。学会側が圧倒的大勝利を収める。★ | |
04/30 | 市議選、及び都区議選に51名が当選。 | ||
05/24 | 日顕、宗会議員に当選。 | ||
05/25 | 岩波書店より『広辞苑』の初版が刊行される。 | ||
08/24 | 森永ヒ素ミルク事件が発覚。 | ||
11/15 | 保守合同。自由党と日本民主党が合同して、自由民主党が結成される。これに先立って10月13日には社会党の左右両派が合同しており、55年体制が確立された。 | ||
12/01 | アメリカ、アラバマ州のモンゴメリーで、ローザ・パークス(当時42歳)によるバス・ボイコット事件。 | ||
1956 |
01/04 | 関西指導(〜01/05、01/14〜16)。 | |
01/31 | 1月度本部幹部会(東京・豊島公会堂) | ||
昭和31 |
02/01 | 中野好夫が『文藝春秋』2月に「もはや戦後ではない」と題したエッセイを発表。この年の7月に発表された経済白書にも引用され、流行語となった。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器(じんぎ)」と呼ばれた。 | |
05/15 | 大阪支部学会員6名が逮捕 | ||
05/31 | 5月度本部幹部会。本尊流布数2万9873世帯の内、実に大阪支部が1万1111世帯の金字塔を打ち立てる。 | ||
07/08 | 第4回参議院選挙。辻武寿、北条雋八(しゅんぱち)、白木義一郎の3氏が当選。 | ||
07/22 | 鼓笛隊が33名で発足。 | ||
10/09 | 山口開拓指導(〜1月まで、通算30日間にわたる指導) | ||
1957 | 03/24 | 学会青年部員に与う――2.青年訓と青年部 ★ | |
昭和32 |
05/17 | 北海道炭労が定期大会で学会対策を打ち出す。 | |
05/27 | 炭労が「学会の締め出し」を指示。 | ||
06/30 | 学生部の結成大会(東京・麻布公会堂)。 | ||
07/01 | 池田先生、札幌大会に出席。炭労問題への学会の態度を明確に示す。 | ||
07/02 | 夕張大会(夕張市 若菜劇場)→ | 夕張炭労幹部も出席。学会側の正論に「対決」を取り消す。その後、炭労は2004年11月19日に消滅。 | |
07/03 | 池田先生、選挙違反の容疑で大阪府警により逮捕。午後7時。 | ||
07/17 | 池田先生、出獄。大阪大会(中央公会堂)。 | ||
07/18 | 「経王殿御返事」講義 ★(大阪市中之島公会堂) | ||
08/20 | 正妙山興隆寺落慶入仏法要(夕張・興隆寺) | ||
08/28 | 8月度本部幹部会にて、池田先生が葛飾総ブロック長に任命。 | ||
09/08 | 戸田先生、第4回東日本体育大会(横浜市・三ツ沢競技場)で「原水爆禁止宣言」を発表。 | ||
11/05 | 若き日の日記 | ||
11/23 | 堀日亨上人が逝去。享年、90歳。 | ||
12/17 | 戸田先生「あと7年で、200万世帯まで闘いたい」と池田先生に語る。「勇気百倍、断固、闘います」と決意を披瀝。 | ||
12/25 | 12月度本部幹部会にて、75万世帯の達成が発表される。 | ||
1958 | 01/01 | 若き日の日記 | |
昭和33 |
02/10 | 朝、「あと7年間で、300万世帯の学会にしたいな」と戸田先生が語る。 | |
03/01 | 法華本門大講堂の落成慶讃大法要(総本山大石寺)。 | ||
03/16 | 広布の記念式典(総本山大石寺)。青年部6000名が結集。後に「広宣流布の模擬試験」と呼ばれる。 | ||
04/02 | 戸田先生、逝去。午後6時30分。神田駿河台の日大病院にて。享年58歳。 | 第四の鐘 | |
04/03 | 戸田先生の納棺の式。細井精道宗務総監が導師。 | ||
04/08 | 戸田先生の告別式。池袋・常在寺にて第65世日淳上人の導師で。学会員、約12万人が焼香。落合葬祭場にて火葬後、学会本部にて初七日法要を営む。 | ||
04/29 | 若き日の日記 | ||
12/07 | 第7回男子部総会 ★(両国日本大学講堂) | ||
1952年(昭和27年)〜1958年(昭和33年)
【参照】 『日蓮大聖人と最蓮房』