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1938年(昭和13年)〜1944年(昭和19年)

年号
月日
広布史
詳細/社会
1938
堀日亨上人、『富士宗学全集 134巻』を完成させる。
昭和13
02/10
阿部日開、彦坂スマと入籍。信夫が生まれてから16年後のこと。
 04/01国家総動員法が公布。
1939
この年、牧口先生の三男洋三が、稲葉伊之助の二女貞子と結婚。 
昭和14
12/創価教育学会第1回総会(参加者五十数人)。
1940
01/16牧口先生の孫・牧口洋子が生まれる。 
昭和15
 創価教育学会第2回総会(九段軍人開館)。会員数は500人に。京浜地帯を中心に組織が拡大。
1941
07/20
機関紙『価値創造』の第1号発行。会員3000名。価値論抄(戸田城聖)、安産と無産との実証、対仏立講問答録
昭和16
03/10
改正治安維持法が公布。
 08/07第6回夏季講習会始まる(延183人)。
 08/20『価値創造』第2号発行。臨終の相(有村勝次)、亡妻記(藤生千代三)、猫の成仏か(阿部一極)、靴の裁判(川室茂)、子供の大善生活法実証
 10/20『価値創造』第3号発行。第六回折伏法研究会(大石寺で七日間)、変毒為薬の余が実証(矢島周平)、地獄から極楽へ(阿部一極)、子供の性格変化(原島精子)、弱虫が強虫に(寺阪京子)、地方だより
 11/02昭和16年度秋季総会(神田一ツ橋教育会館/400人)。会員数2000名、東京13、地方9支部という陣容。
 11/月刊誌『世界之日蓮』で、大聖人が所持されていた宝刀が盗難されていた事実が報じられる。当局は、内部による犯行とにらんでいたが、宗門が不問に付した。
 12/この頃から、牧口先生、政府の戦争政策に対して対決姿勢を示す。 
 12/05『価値創造』第4号発行。総会の意義とその盛況、信仰は正行薬は助行(原十郎)、軟禁の折伏法(金川末之)、酒癖の全治(高杉博)、本山丑寅の勤行に流涕す(江刺マサ子)、罰則利益(白木よし子)、秩父の奥より(辻賢太郎)、青年の大善生活(片山尊)、婦人部の使命(木下夏子〕、日本人の生活目標の覚醒(国富倫雄)
 12/08 太平洋戦争始まる。
 12/20『価値創造』第5号発行。
生活革新実験証明座談会が支部単位で行われる。
旧体制の信仰(神尾武堆)、赤化思想から日本晴れの喜び(杉山亀吉)、憎い継母が今は仏(寺阪陽三)、登山のあと(小塚鉄三郎)、井中の学生と大善生活法(小平芳平)、岳父折伏の手紙(原島鯉之助)
1942
 当局による弾圧始まる。
昭和17
02/01幹部会にて、25支部体制が発表 
02/10『価値創造』第6号発行。女子師範校長との問答(辻武寿)、旧体制の信仰を拝読して(兵頭次男)、一番欲しい物(斎藤薫)、謗法の罪障録(一)、地方だより、各部報告
 03/10『価値創造』第7号発行。謗法の罪障録(二)、都会人と社会性、各部報告
 04/10『価値創造』第8号発行。実業家団体の大善生活道場記、出版クラブの大善生活実証、大酒癖矯正の実証、謗法の罪障録(三)、各部報告
 05/10『価値創造』第9号発行。当局の指示により、これをもって廃刊。正信者の法罰、不死身の信仰、安産の実証、不良少年善化の証明、各部報告
 05/17昭和17年度春季総会(神田教育会館)。
09/14

細川嘉六を出版法違反で検挙→横浜事件(1945年10月15日までに30人が有罪判決、その内4人が拷問の末死亡)

10/10
日蓮正宗宗務院、伊勢神宮を遥拝するように「院達」を出す。
11/19
日蓮正宗に報国団が結成される。
1943
 空襲警報発令で集会困難。
座談会に刑事が来るという弾圧下で、折伏活動が続けられる。会員数は5000人に。
昭和18
06/05学会幹部、陣野忠夫・有村勝次が特高に逮捕さる。
06/16
日蓮正宗の僧侶・藤本秀之助が検挙される。
06/27
牧口先生・戸田先生が総本山に呼ばれる。日恭上人・日亨上人立ち会いのもと、渡辺慈海庶務部長より「『神礼』を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうか」と申し渡される。これに対し牧口先生は「神札は絶対に受けません」と断言。いわゆる神札問題これが、牧口先生にとって最後の登山となった。
06/28
「私が嘆くのは一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諫暁の秋(とき)ではないか。いったい何を恐れているのだろう? 戸田君、君はどう考える?」と牧口先生が戸田先生に語る。
07/06
牧口先生、伊豆下田にて逮捕される。逮捕者は21名に上った(東京14、神奈川4、福岡3)。
戸田先生、白金台の自宅で特高刑事に治安維持法違反、不敬罪容疑で逮捕。高輪署に留置される。

逮捕された後に牧口先生は、洋三夫人の貞子にこう語った。
「わしが死んでも何も心配することはない。あとは総て、戸田がうまくやってくれる。しかし、わしの葬式の時には、お前達の誰よりも先に、戸田に焼香をさせるんだよ。このことは忘れんように、しっかり覚えておくんだよ」(池田諭による)

08/
『特高月報』(8月分)に牧口先生の調書が掲載される。
 08/25牧口先生、巣鴨拘置所に移される。弁護士が中々決まらず。 
 11/20ようやく東京地裁に予審請求。「日蓮正宗の法門こそ無上最大の善にして、該法門に帰依し、その信仰に精進するにおいては、最大の善果を施すこととなり、因果の理により、最大の善果を得、最も幸福なる生涯を送りうべく、爾余の神仏を信仰礼拝するは、該法門に対する冒涜にして所謂謗法の罪を犯すこととなり、法罰として大なる不幸を招くべしと説き、右本尊以外の神仏に対する信仰礼拝を極度に排撃し、畏くも、皇大神宮を尊信礼拝し奉ることも亦謗法にして不幸の因なれば尊信礼拝すべからずと做す」(予審請求より)
11/21
日顕の父・日開が死去(71歳)。
 12/01文科系の学生に対する徴兵猶予が勅命によって停止(学徒出陣)。
1944
03/
戸田先生、獄中にて「仏とは生命なり」と悟達。
昭和19
08/31牧口先生の三男洋三が戦死。享年38歳。 
 10/11洋三の戦死を知らせる手紙(10月5日付)が獄中に届く。 
11/18
牧口先生、獄中で逝去。老衰と栄養失調による。第二の鐘
 11/戸田先生、「霊山一会儼然未散」の文を色読し、“我、地湧の本眷属なり”と悟達。
 

1938年(昭和13年)〜1944年(昭和19年)

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