1868〜1912年(明治)
西暦 |
月日 |
広布史 |
詳細/社会 |
1868 明治元 | 01/25 | 改元。慶応から明治に。 | |
1870 明治3 | 01/03 | 神道を国教にする大教宣布。 | |
1871 |
04/20 | 日本で初めての切手発行。東京〜大阪間で郵便制度が開始。 | |
明治4 |
05/10 | 新貨幣制度が制定された。1両が1円に。 | |
06/06 | 牧口初代会長誕生(渡辺長七)。越後国柏崎県刈羽郡荒浜村(現新潟県柏崎市)。父・渡辺長松、母・いねは3年後離別。牧口先生は祖父母に養われた。 | ||
07/14 | 廃藩置県。藩による封建制が消滅。 | ||
08/09 | 断髪令。「士農工商四民の断髪勝手たるべき事」という太政官布告が出た。 | ||
10/23 | 土井晩翠生まれる。 | ||
陰暦 11/09 | 太陰暦から太陽暦への改暦を発表。これによって、明治5年12月3日が明治6年1月1日となる。 | ||
1872 |
02/21 | 「東京日日新聞」創刊。「毎日新聞」の前身。 | |
明治5 |
04/25 | 太政官布告第133号が出される。これによって僧侶の肉食、妻帯、蓄髪等が許され、僧侶の堕落・葬式仏教化・世襲制に拍車がかかる。 | 明治5年、日本の総人口は3300万人。 |
06/12 | 日本初の鉄道が品川−横浜間(単線、24km)で鉄道仮営業。 | ||
11/25 | 福沢諭吉『学問ノスゝメ(初編)』を発表。17編で、総発行部数は340万部。 | ||
1873 明治6 | 02/24 | 政府はキリシタン禁制の高札を撤去することを決定、キリスト教が公認に。 | |
1874 | 02/ | 佐賀の乱。 | |
明治7 |
11/20 | 「読売新聞」創刊。 | |
1876 明治9 | 03/10 | 行政上、日蓮宗興門派(後に日蓮本門宗と改称)と分類さる。 | ベルが電話を発明。この日、助手との間で初の通話に成功。 |
1877 |
02/15 | 西南戦争。西郷隆盛が兵を率いて鹿児島を出発。22日に熊本城を包囲した。政府軍と激しく戦ったが3月20日に田原(たばる)坂で敗退した。 | |
明治10 | この頃、牧口先生、叔母トリが嫁いでいた牧口善太夫の養嗣子となる。 | ||
1882 | 前年かこの年。五重塔の銅瓦を売り飛ばし、そのお金を着服してしまった僧が出た。(※日布上人) | ||
明治15 |
08/ | 日布(55世)が国柱会と横浜問答を行う。 | |
1885 | この頃、牧口先生、父長松の弟渡辺四郎治をたよって、小樽に行く。その後、小樽警察署の給仕として働く。養父母の牧口善太夫夫妻も小樽に移る。 | ||
明治18 | 堀日亨上人が日蓮宗富士派(当時)に入信。 | ||
1890 明治23 | 10/30 | 「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)発布。 | |
1891 | 牧口家の本籍を北海道小樽郡勝納町四二に移す。 | ||
明治24 | 04/ | 牧口先生、北海道尋常師範学校の3年に編入。 | |
1893 | 01/11 | 牧口先生、長七から常三郎と改名。 | |
明治26 |
03/31 | 牧口先生、師範学校を卒業。附属小学校の訓導となる。 | これまで卒業式は7月に行われてきたが、この年から3月に変更された。 |
1894 | この年、内村鑑三の『地人論』(発表当時は「地理学考」)、志賀重昂の『日本風景論』が相次いで出版され、牧口先生は強い影響を受ける。 | ||
明治27 |
07/25 | 日清戦争勃発。 | |
12/ | フランスでドレフュス事件。 | ||
1895 明治28 | 牧口先生、牧口熊太郎の二女クマと結婚する。 | ||
1998 明治31 | 01/02 | 牧口先生の長女ユリが生まれる。 | |
1899 明治32 | 07/ | 牧口先生、北海道師範学校の主事事務取扱に就任。 | |
1900 | 03/29 | 牧口先生の長男民城が生まれる。 | |
明治33 |
02/11 | 戸田先生、誕生。石川県江沼郡塩屋村(現・加賀市塩屋町)、甚七、すえの七男として。名は甚一。 | |
08/06 | 牧口先生の養父・善太夫が逝去。 | ||
08/25 | ニーチェ、死亡。 | ||
「日蓮宗富士派」と呼称。 | |||
12/14 | ドイツの物理学者マックス・プランクが「エネルギー量子仮説」を発表。これが量子論の始まりと言われる。 | ||
1901 |
02/03 | 福沢諭吉、死亡。 | |
明治34 |
04/18 | 牧口先生、北海道尋常師範学校を退職し、上京。親子4人で三畳一間の生活。 | |
1902 | 牧口先生、志賀重昂に指導を受ける。厚さ六寸もある原稿(人生地理学)を見せられ、志賀は援助を約束。 | ||
明治35 | 08/04 | 牧口先生の二男善治生まれる。 | |
1903 | 牧口先生、選挙運動中の志賀重昂を静岡に尋ね、原稿の校閲を依頼。 | ||
明治36 |
08/22 | チンチン電車〜東京電車鉄道が、鉄道馬車のレールを利用して、路面電車(後の東京市電・都電)を品川八つ山−新橋間で営業を開始した。 | |
09/20 | バス運行開始。京都市で二井商会がバス運行を開始。日本で最初のバスとされる。 | ||
10/15 | 牧口先生、苦節十年を経て宿願の『人生地理学』(文会堂)を出版。同年末までに3版が出、明治37年から41年まで毎年、版を重ねた。更に出版によって、新渡戸稲造(当時、台湾総督府技師)との知遇を得る。出版は成功するも、経済的余裕を生むほどではなかった。 | 小川琢治(貝塚茂樹、湯川秀樹の父)も「余は、この一千ページの大冊を完成せる著者牧口常三郎君の真摯と勤勉とを驚歎して措く能わざるものにして、読み来たるにおよび、その渉猟の該博、その着想の斬新、その論断の妥当、また、滔々たる操觚者流のおよぶところにあらざるに服せり」と絶賛した。 | |
12/17 | アメリカでライト兄弟、史上初の動力飛行を行う。ノース・カロライナ州の寒村キティホークに近い海岸の「悪魔殺しの丘」と呼ばれる砂丘で行われた。1回目は弟のオービルの操縦で12秒、36m。4回目に兄ウィルバーの操縦で4.5mの高度を保って256mあまり飛んで着陸した。飛行時間は59秒だった。飛行機は木の骨組みに綿布張りで、手製の小型エンジンがついていた。全長6.4m、翼長12.3m、重さ274kg。 | ||
1904 明治37 | 02/10 | 日露戦争勃発。 | |
1905 | 02/20 | 牧口先生の二女イズミが生まれる。生活が困窮。子供は5人になっていた。 | |
明治38 |
06/ | アインシュタインがドイツの物理雑誌「アナーレン・デル・フィジーク」に相対性理論を発表。 | |
明治39 1906 | 04/28 | クルト・ゲーデル生まれる。 | |
1907 明治40 | 04/08 | 牧口先生の三男洋三が生まれる。 | |
1909 明治42 | 02/02 | 牧口先生、東京麹町の富士見小学校首席訓導となる。 | |
1910 | 04/23 | 牧口先生、病気のため富士見尋常小学校を退職。 | |
明治43 | 06/14 | 柳田國男の『遠野物語』が出版。 | |
06/21 | 牧口先生の四男長志が生まれる。 | ||
08/06 | 牧口先生、文部省図書局に入局。 | ||
秋 | 新渡戸稲造が中心となって「郷土会」が結成。 | 牧口先生を始め、柳田国男、草野俊介、中山太郎、前田多門、尾佐竹猛、小野武夫、那須皓、小平権一、小田内通敏、小此木忠七郎、正木助次郎、田中信良、中桐確太郎らが参加。 | |
1911 | 08/ |
牧口先生、農商務省山林局の嘱託職員となる。 | |
明治44 |
11/10 | 報知社から発行された『日蓮上人』に大御本尊の写真が掲載される。 | |
1912 明治45 | 06/07 | 「日蓮正宗」と呼称。 |
1868〜1912年(明治)
【参照】 『牧口常三郎』池田諭