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1992年(平成4年) 「創価ルネサンスの年」

月日
広布史
詳細/社会
01/10
この日発売された月刊『文藝春秋』に日顕のインタビューが掲載。池田先生を批判。 
02/02工藤玄英住職ら7人の僧侶が宗門から離脱(改革同盟)。以降、離脱が相次ぐ。 
03/28宗門が都知事に、学会の解散を求める通知書を提出するも相手にされず。 
03/30非教師指導会に先立ち、大石寺大奥対面所にて「お目通り」の際、応顕寺(神奈川県横浜市)在勤の菅原雄政氏が日顕に「離山の書」を突きつける。騒然とする中で植松雄増氏(大阪府茨木市・安住寺在勤)が「日顕、悪いのはお前だ!」と叫ぶ。続いて松岡雄茂氏(東京都江戸川区・大護寺在勤)も、「決別の手紙」を日顕に手渡そうとするも、臼倉雄理から暴行を加えられる。この他、志を同じくする青年僧侶、計10人が反旗を翻した。既に記した3人の他、大塚雄能氏(山形県鶴岡市・法樹院在勤)、山口雄在氏(大阪府岸和田市・平等寺在勤)。この5人の他にも、当日「お目通り」に出ていない青年僧侶5人が意志を同じくしている。渡辺雄悦氏(東京都国立市・大宣寺在勤)、土井雄育氏(本山大坊内)、橋本雄正氏(本山大坊内)、岡崎雄直氏(秋田県鹿角市・妙貫寺在勤)、大塚法樹氏(京都市・平安寺在勤)。
03/31日蓮正宗青年僧侶改革同盟員が結成。記者会見も行われる。日顕を囲んで総本山大石寺の大書院で食事会。周囲の者に聞こえよがしに、「お前と呼ばれたのは、駒井、お前だよな」と、お仲居の駒井専道に対して同意を求める。
06/14僧侶有志が「憂宗護法同盟」を結成。後日、小板橋明英住職らが記者会見(7月22日)。 
06/17創価新報が「シアトル事件」を報道。 
06/19UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の要請に協力し、カンボジアへラジオ5万台を贈呈(1993年までに29万台)。 
08/11池田先生に対し「信徒除名」の通知書。 
08/28日顕、教師指導会で「シアトルではホテルから一歩も出ていない」と発言。 
08/30恩師の故郷――厚田での語らい (厚田・戸田講堂) 
11/18創価新報が、日顕の東京・赤坂での芸者遊興写真を報道。 

12/15

『青年との「つれづれの語らい」』2  
  

1992年(平成4年) 「創価ルネサンスの年」

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